癒しの部屋へようこそ

最近はコロナの影響でメンタル面に影響が出ている人が多いのではないでしょうか?私もそのうちの一人です。そんなメンタル弱めの弱音を、心理学を通して綴って行きたいと思います。

「暴走する正義感」

おはようございます!orionです。記事を書くのは久しぶりです。
最近は自分の身の上が忙しかったので・・・


きょうは「東洋経済オンライン」に中野信子さんがかかれた記事をご紹介いたしますね。
題名は「暴走する正義感ヒトの脳は裁くようにできている」です。


「暴走する正義感」ヒトの脳は裁くようにできている


 「ルールを破った誰か」や「ズルをしている誰か」を、"正しい自分"が徹底的に糾弾し、バッシングする。ネット上でよく見掛けるこの光景は、どんな心理状態で行われているのか。脳科学者・中野信子氏が、最新刊『シャーデンフロイデ』で、"暴走する正義漢"が生まれるメカニズムを解説する。


「ズルをしている誰か」を許せない


 2017年6月、東名高速であおり運転による危険運転致死傷事件が起きました。逮捕された人物は、過去に何度も同じことを繰り返していたといいますから、自分が悪いことをした、という認識をまったく持ち合わせていなかったのでしょう。それどころか、オレの気分を悪くさせた相手に、制裁を加える「正当な権利」を、オレは持っている、と感じていたのではないかと思われます。


 自分だけは正しく、「ズルをしている」誰かを許せない。だから、そんなやつに対しては、俺/私がどんな暴力を振るっても許される。そんな心理状態によって実行に移される行動を、英語で「サンクション(制裁)」といい、学術的な用語としても用いられます。


 電車などの公共交通機関や街なかで暴行を働く「暴走老人」も、このサンクションという心理に基づいていると思われます。サンクションが、ご年配の方に多いと考えられるのは、残念ながら、特に偏見というわけでもなさそうです。生理的に前頭葉が持つ機能の低下が、こうした振る舞いの原因として想定されるのですが、この機能は一度低下してしまうとなかなかそれを劇的に高めるということができません。


 暴走する「正義漢」(こうした表記に引っ掛かりを感じる読者はひょっとしたら、サンクションを発動させやすいタイプの人かもしれません)を止める方法としては、その方の気力・体力が衰えるのを待つ以外に、有効な方法が考えにくいのです。


 もちろん、脳には可塑性があるので、時間をかければどんなことでもまったく不可能ということはないでしょう。ただ、たとえば行政等の観点から言えば、はたして高齢者に費用と労力と時間をかけてその暴走を止めていくことに、どれほどのコストパフォーマンスが期待できるか、といった議論が想定されます。


 特にテストステロンの分泌量が多い男性は、前頭葉が担っているブレーキの機能が脆弱になっていると、心ゆくまで他者を攻撃し、ボロボロに傷つけて快感を覚える、ということをやめられなくなります。DVの加害者側に見られる心的状態にも、類似の構造があります。


他者を殺傷することが許される国ではないのに…


 日本は法治国家であり、原則として私刑という形で報復的に他者を殺傷することが許される国ではありません。その法治国家の住人であるにもかかわらず、「私刑を加えても自分だけは許される」「先にルールを破ったのはこいつだから、どんなに制裁を加えようがかまわない」「善良な国民である俺の気分を悪くさせたこいつを許しがたい(謝罪しろ!)」という、認知の歪みが生じるのです。これは一見、不可解に見えますが、ごく一般的に起きていることです。


 「サンクションを加えたくなる衝動」を感じたことがないという人がいるかもしれません。でもそれは、感じたことがあっても忘れてしまっているか、感じたことを他の人には知られたくない、という人だと思います。


 


が、規範を逸脱した人に対して制裁を加えることは、「正しい」あるいは「世のため人のため」と(少なくとも本人には)認知されています。敢えて相手に対して言いにくいことを言ったり、世のため人のために誰もがやりにくいことをやっている自分は、正しくて善良な素晴らしい人間である、とさえ感じています。


 それでは、誰かに対して制裁を加えたいという気持ちが高まることで得をする人は、一体どんな人なのでしょうか。


 もちろん、制裁を加える本人ではありません。制裁を加える本人は、制裁することによる仕返しのリスクを負わなければなりませんので、客観的に見れば、制裁というのは、"損"な行動なのです。制裁に掛かる「労力」と「時間」というコストの問題もあります。


 つまり、個人という単位で見たときに利得が高くなるのは「何も見なかったことにする」という行動を取った人です。何かアクションを起こすこと自体が、時間と労力の損失になるからです。


 仕返しのリスクがあるにもかかわらず、それを行うのは何らかのインセンティブがあるからだ、と考えざるを得ません。一応、私たちヒトも生物のはしくれですので、何らかの得がなければその行動を選択しません。


 しかし、想定できる利得というのは、実は制裁を加える本人の脳内に分泌されるドーパミンだけなのです。ようするに「目立つあいつ」「ムカつく誰か」「一人だけズルをしているかもしれないあの人」が傷ついたことによって得られる、ドーパミンの分泌による快感です。


すべての集団で起こり得る現象


 では、なぜ、「不謹慎」を叩くことによってドーパミンが分泌されるのでしょうか。


 これはちょっと不思議なことのように感じられるかもしれません。個人という単位では、まったく利得がないばかりか、損失が大きくなるかもしれない行動を、わざわざどうして、ドーパミンを分泌させてまでやらせるのか。自ら(ドーパミンを分泌させてまで)損失を被りたがる個体が出現することで、利益を得る人たちは誰なのか。


 それは、その人を除いたすべての集団構成員です。


 集団において「不謹慎なヒト」を攻撃するのは、その必要が高いためです。「不謹慎な誰か」を排除しなければ、集団全体が「不謹慎」つまり「ルールを逸脱した状態」に変容し、ひいては集団そのものが崩壊してしまう恐れが出てくる。


 その前に、崩壊の引き金になりかねない「不謹慎なヒト」をつぶしておく必要があるのです。これは、すべての集団で起こり得る現象です。


 結論を言えば、誰かを叩く行為というのは、本質的にはその集団を守ろうとする行動なのです。向社会性が高まった末の帰結と言えるかもしれません。



以上、中野信子さんが書かれた記事でした。
サンクションが発動するのは人間として仕方がないとしても


オバーサンクションはやり過ぎた制裁行動というわけですね。


その快感に酔いしれた人は「正義感に暴走する」ショートカットキーを手に入れてしまったと言う事です。


前頭葉の機能低下による「暴走脳」は治ることがないそうです。怖いですね。
自分の周囲でも「暴走脳」の人はたくさんいるのでため息が出ました。
でもまた、自分にもいつ「暴走脳」に走るか気を付けなければいけないのだと感じます。
















































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キレる人を生み出す思考とは❓

こんにちは、orionです。


この前買い物をしている時に、レジでキレる人に出会いました。最近はこう言った人が増えたなーと思いました。


本当にどうでもいいことで不快に思うんだと観察していてよくわかります。


さて、「このキレる」状態ですが、この状態には色んな脳の構造が潜んでいるのです。


それについて今日はお話していきたいと思います。


脳の老化が考え方を保守化させる

脳の老化と一言にいってもどの脳がどのようの老化すると「キレる」という現象が起きるのか


簡単に言うと、前頭前野の背外側前頭前野が衰えると「キレる」人になりやすくなる、と言われています。


この脳の老化は自分がもともと持っている思想や思考が加齢とともに、強化されてそれ以外の意見は受け付けなくなってしまう現象が起こるのです。


例えば、スケベな人が前頭前野で理性的な行動をとることで、本来のスケベな性質を抑えていたのですが、加齢によりその理性が低下することで生来持っていたスケベな性質が浮き彫りになってくる。


これがその現象に当たります。


年を取ってくるとスケベな人が増えるのはそのせいです。


確証バイアス

以前別の記事で集団内バイアスのお話をしたと思います。


自分達の所属する集団は優れていなければならないとイングループを優遇してしまうバイアスです。


このバイアスには確証バイアスと言って、自分達の所属する集団の理論しか受け付けなくなるバイアスも働きやすくなるのです。


例えば、自分達の集団の良い部分しか受付ず、悪い情報は自分達の中から抹消してしまうと言うフィルターのかかった限定的な世界観の構築をしてしまい、


そうすることで自分達の所属する集団は優れていると確証を得ようとするのです。


ですが、その考えはイングループでは適用されても、アウトグループでは受け入れてもらえない場合があります。


違った価値観に遭遇した時にそれを受け入れられず、思考が硬直化してしまい「キレる」などの問題を起こしやすくなってしまう場合があるのです。

解決策は人間脳


どの様な考え方も受け入れて、どの様な相手のも尊重して認めていくというのはとても高度な人間脳を使います。


それが前頭葉の眼か前頭皮質という部分の領域で行われます。


ここは30歳くらいまでが成熟期で、それ以降は衰えていきます。


しかもしっかり発達させるためにはそれなりの刺激(教育など)が必要になってくる訳です。


人間は脳機能に莫大なエネルギーを使うために「省略化」というおさぼり脳を発動させてしまうのです。


先ほども言った思考バイアスで、レッテル貼りをしたり、分類分けをすることで本来使うべき脳を使わないでいいほうを選択してしまうのです。


そのおさぼり脳が癖がついてしまって結果として脳機能の低下を招いてしまうのです。


ですから脳にとっての刺激(教育)とは差別しない方向性や考え方の違いを受け入れる、相手を尊重するなど


脳がスッキリしない状態でも耐えられる思考を身に着けておく必要があるのです。


グレー的なを受け入れることができるのは成熟した人間脳のなせる業です。


若い脳で若々しく生きよう!

人間の脳は考え方が偏ってしまうと老化が加速して老ける脳作りをしてしまいます。


前頭葉を使って色んな人間の価値観に触れたり、考え方を保守化しない生き方は老けない脳を作ります。


何も難しい勉強をしなくても脳は老けません。考え方をニュートラルにしていろんな出来事に対応できる様にシフトチェンジしていけばいいのです。


例えば、一貫性に美徳を見出すのは日本人ならではですが、実は人間脳は一貫性を保つようにはできていないのです。


それは生命維持のためだと言われています。


人間に備わっているミラーニューロンと言う脳は、人と対話する事でいつも新たな自分が自分が引き出されるようになっています。


つまり、多面性があるのが当然で、本当の自分とはあって無きに等しいのです。


ですがはっきりとした確証が欲しい人の脳は、こういう人だとレッテル張りをして安心感を得ようとします。


これが脳の老化の原因なんですね。


30代以降から脳は老化が始まりまるといわれています。


老けない脳で生きるか、老ける脳で生きるかそれはあなた次第と言う事ですね。


人生は楽しむことで脳が活性化します。いろんな出来事やいろんなひとと出会うことで老けない脳に癖ついていく事が若々しく生きる事につながるのではないでしょうか。



長い文章をご一読下さってありがとうございました。
以上orionでした。

あなたも正義依存症⁉

こんにちは、orionです。
今年は冷夏で農作物の値段が高いと聞きました。
おいしい野菜がなかなか食べられなくなるのはとても残念です。


あのプリっプリのトマトを冷やしておいて抹茶塩を振りかけて食べる!


もう最高ですね。

あーおいしそう。


さて、今日は正義依存症についてお話していきたいと思います。


正義依存症

正義依存症」この言葉を聞いたことはありますか?


人間は、自分と考えが異なる人間を「正しい」「正しくない」という観点からバッシングという攻撃行動をしてしまいます。


その過剰な正義からくる攻撃行動の快感にはまってしまった人を正義依存症といいます。


芸能ニュース、Twitter、SNSの炎上など、ゴシップに人間が群がるのも、この制裁行動を昇華する為に群がる人達がいるからです。


快楽ホルモン「ドーパミン」

正義の制裁」には依存症になるメカニズムが脳の構造にはあるのです。


その正体は快楽物質「ドーパミン」です。


制裁行動には脳内ホルモン「ドーパミン」が分泌されるのです。


この「ドーパミン」は数々の依存症の原因をもたらす物質で、分泌が適正値をこえてしまうと、体内の「ドーパミン受容体」が正常に機能しなくなってしまいます。


ドーパミンの受容が半減してしまう事により、もっと沢山の刺激を求めて行動を強化してしまう仕組みが依存症です。


つまり、正義依存症は、攻撃から得られる快感を求めて過剰な制裁行動をしてしまう病気なのです。


正義依存症がもたらすもの

人間が種の存続をするために集団を維持することで、生き残り戦略に勝ち続けてきました。


そう言った意味でルールや和を保つことに人間にとっては制裁行動は必要だったと言えます。


ただ、この正義の制裁もバランスを崩すと、お互いが攻撃し合い、本来の目的「種の存続」からかけ離れて「自分の欲望を満たす」と言う事が目的となってしまいます。


欲望を満たすための制裁行動は過剰な攻撃であり、過剰なバッシングに人は恐怖を抱きます。


それは人類が損害回避傾向が強まる社会になるということです。


損をしたり、害されることを恐れる社会とは、罰を恐れて何もしない」社会になりやすいと言う事です。




正義依存症がもたらしやすい現象をいくつか紹介していきます。

集団内バイアス



人間はいくつかの認知バイアスを通じて社会を営んでいます。
その内「集団内バイアス」もそのうちの一つでしょう。


集団内バイアス」この認知バイアスは自分たちの所属している集団は優れていなければならない。と言う認知が起こります。


すると、自分たちの集団に対する優遇がなされてしまい、それに対し自分たちの集団外の人間には不当な評価やバッシングをしてしまう思考に陥ってしまうのです。


例えば協議の場では、それがどんなに良い案を訴えてもバイアスがかかると不正解になってしまう原因の一因はこれがあるからです。特に日本はこの傾向が高いと言われています。

ステレオタイプ


そして脅威なのが「ステレオタイプ」です。


この「ステレオタイプ」は集団そのものの考え方が自分の考え方となってしまい皆で同じ方向性で進んでしまうという現象が起こります。


これを「ステレオタイプの脅威」と呼んでいます。


仮に間違った方向でも集団がそうであれば自分たちも賛同してしまうという恐ろしい現象が起こってしまうのです。


例えば「黒人は白人より攻撃的」など社会的に間違ったイメージで攻撃的ではない黒人も「自分は攻撃的」と思い込んでしまう現象がこれに当たります。


すると不当な評価でバッシングの対象を作り出してしまう社会につながっていく事は必然的と言えるでしょう。


時には正解が不正解!

今まで書いてきたことを踏まえて、自分の価値観はいろんな出来事が作用してできあがっているということが伺えます。


自分達が描いている正解は、時と場合によっては正解ではないと言う事です。


先程、損害回避傾向は罰を恐れる方を重視するとお話ししましたが、これと対比する社会構造は報酬を重視した社会になります。


つまり、罰を恐れて何もしない消極的な社会か、報酬が欲しくて行動出来る社会か・・・もちろんここにも正解はありません。一番良いのはバランスの取れた社会だと思います。


ですが、過剰な制裁行動で消極的な姿勢の社会を生み出すことよりも、報酬に敏感で頑張れる社会構造の方が私は好みだと思ってしまいます。



特に女性は「女性」と分類される事により、「女性は男性より劣っていた方がもてる」というステレオタイプから、実際能力が劣ってしまう現象が証明されています。


つまり、仕事場では「誰々の奥さん」など女性を意識させることよりも、○○会社の従業員など構成を男性女性と分けない接し方が女性の力が発揮できる環境になるわけです。


その社会の正解は女性は女性らしく、などのステレオタイプがあると思います。ですが、その思い込みを覆す不正解が実はいろんな出来事の解決策になるのではないかと思っています。


そのためには過剰な制裁行動よりも、一歩踏まえて考え直してみる社会の必要性をこれからは特にかんじます。



今日も長い文章を読んでいただいてありがとうございました。
以上orionでした。