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最近はコロナの影響でメンタル面に影響が出ている人が多いのではないでしょうか?私もそのうちの一人です。そんなメンタル弱めの弱音を、心理学を通して綴って行きたいと思います。

日本の精神医療の現状 ~ クスリの多用の怖さ(part2)

こんにちはorionです。


昨日は子供の誕生日だったので、外食してきました。
うちは子沢山なので滅多に外食はしませんが、子供が「たまには外で食べたい」というのでいってきました。


外食はいいものですね。
注文したらすぐ食事は運ばれてくるし、種類は豊富。最後の締めにデザートまで出てくるし、最高! 
ちなみに私が食べたデザートは「イチゴとマンゴーソースの乗ったアイスかき氷」。甘いものが大好きな私はスプーン一口一口を味わって食べ、至福のひと時の時間を堪能したのでした。


話は変わりますが


そう言えば俳優の三浦春馬さんが自殺で命を落としたそうですが「ブラッティマンデー」など数々の作品を見てきた私としては残念で仕方ありません。
まだ30歳という未来ある青年が一体何を思い悩んで自殺に至ってしまったのか・・・本当に考えさせられます。最近はキャラ変更を狙った作品を考案中だったとか、もっといろんな作品を見たかったです。ぐすん。


ご冥福をお祈り申し上げます。


さて、前回の続きに入りたいと思います。
前回は日本の精神医療の現状は精神患者が増え続けている理由をあげました。


  1. 治せないから増え続ける。
  2. 病人じゃなくても病人にできてしまう
  3. 医療モデルに当てはめる考える環境がある

の三点です。


part1では精神患者が増え続けている現状をお伝えしました。
今回は上記の三点についてお話していきたいと思います。


治せないから増え続ける


これはまず第一に治療に使われている薬が体に良くないんではないか?という問題点があります。
向精神薬は麻薬と同じ効果があります。それだけに常用すれば依存性が増し、やめられなくなる、または幻覚や幻聴が出現する症状が伴う場合もあるそうです。


あまり日本では知られていないことですが、抗うつ剤は妊婦が服用すると奇形胎児が生まれる可能性が高くなります。実際にアメリカでは抗うつ剤の服用に関して適切な説明もなかったとして裁判事件が起こっているのです。


その裁判では妊婦側が勝訴して多額の損害賠償金が発生したそうです。


つまり劇薬である薬を使って得る効果は一定期間は効果はありますが、それと引き換えに払う代償も大きいと言う事です
根本的に治すとなると薬の常用化は非常に危険です。


強い自殺衝動などの急を要する症状の場合は、拘束する時間も限られているので、症状を緩和するためには薬も必要な場合もあるかもしれませんが・・・

医師によって病人にできてしまう

よく精神医療の間で○○症候群という病名を聞いたことがありませんか?


その○○症候群と言われる病名は原因はわからないが取り敢えず一連の症状が出ている時に使われる病名です。


それらしき症状であればその病名に振り分けられる事は簡単にできてしまうと言う事です。
頭痛、幻聴、幻覚、冷汗、など精神病でこのような症状はよく聞きますが、うつ病でも、統合失調症でも、解離性障害でも、こんな症状はあるのです。


それぞれ違う病院で違う診断をもらった患者さんのお話もお聞きました。


それだけに医師によっては心理的な要因の症状でも病気にできてしまうことは精神医療ならば可能ということにもなりますね。


余談ですが、スイスのジュネーブから日本は精神医療、発達障害も含めて薬を使いすぎているのでは?との勧告があったそうです。


驚きです。
日本の医療は水準も高く、医療問題も少ないと思っていたので・・・ですが、その現状を知っている日本人がどれだけいるか、これだけたくさんの患者さんがいてその事実を知らない事もまた問題かもしれませんね。


医療モデルに当てはめた環境がある


医療モデルっていったい何だろう・・・そう思った人はいませんか?
私もそのうちの一人です。そこで一言で医療モデルを説明すると


「医療モデル」というのは精神病患者を病人として扱う環境がある


ということでしょうか。
この講演会のお話では、外国(主にアメリカだと思うのですが)はそもそも精神病棟が存在しないと言う事です。
それはどうゆうことかというと、精神病患者病を病気というよりもその状態を「個性」と社会で受け入れているため精神病棟が存在しないのです。


確かに海外の映画やドラマでは「カウンセリング」をしている風景がよく見られますが、精神病棟というのはあまり登場していないですよね。


精神病に限らず発達障害などの状態もそうなのですが、この人は○○症候群、○○障害、という枠組みで考えてしまうのは日本人ならではの考え方と言えるでしょう。




また時間がないので次回part3で、精神医療に関して医療モデルではなく、ではどうしたらいいのか?これをお話していきたいと思います。


私の思ったこと


少し個人的なお話をしたいのですが、日本の医療はそこまで闇雲に薬を多用している病院ばかりではい事実もあります。
私の子供も発達障害を抱えていますが、薬を出されたことは一度もなく「個性」として受け入れてくれることのほうがほとんどです。


病気になった時に臆病な性質なので怖がらないように気を使てくれたり、生きていく上では病院とは切っても切れない関係なので、その温かい環境が本当に助かっています。


だからこそ病院選びはよく考えた方がいいのかもしれないですね。

日本の精神医療の現状 ~ クスリの多用の怖さ(part 1)

こんにちはorionです。


まだまだ雨が続いていますね。
雨はあまり好きではなくて、肩はこるし、頭痛がするし、何よりも外に出るのが億劫になる・・・


この前子供が通っている小学校の校長先生が子供を迎えに行った時に「雨が降っていますね、雨を感じて下さい」と言ってにこやかに去って行きました。


澄んだ空気に、静かな校舎。屋根の上から滴り落ちるリズムカルな雨音・・・


普段は忙しくて感じることもないですが、確かに雨を感じたら雨も悪くないかもしれないですね。


音楽に例えるならショパンの「雨音」。少し薄暗い部屋で、そのショパンを聞きながら温かいコーヒーなんて最高!少しかっこつけですが理想です。


雨も癒されますね。


さて本題に入ろうかな、
この前ある講演会に行きました。それは、日本の精神医療における薬の多用の危険性についての講演会でした。


最近の日本では精神医療の患者数が年々増加傾向にあって増え続けているということです。
何故増え続けているのか


  1. 治せないから増え続ける。
  2. 病人じゃなくても病人にできてしまう
  3. 医療モデルに当てはめて考える環境がある


という問題点があるそうです。


日本では病院に入院している患者数は役30万人いると推測されています。
そのうち退院できる人は一か月で300人程度の人しか退院できない、30万人に対しての300人=0.1%の人しか治癒していないという現状です。


30万人に対して300人ですよ!  少ない・・・


そして、1か月間で「死亡」して退院した人は1,837人

こんなに多くの精神病患者が死んでいるという事実です。


もうびっくりしました。
精神を病む病気は癌や死んでしまうような病的な原因がある訳ではないのに、一ヶ月間の死亡の人数の多さに、どうしてだろうと本当に愕然としました。


また、入院から退院できた人が推測18万人いて、そのうち自立に成功できた人は年間39人、1万人に一人の計算です。


その内退院者18万人の中で、リハビリ期間中に死亡してしまった人数は年間265人いるということです。


治せていない現状はこの数字で理解出来ると思います。
ウーン・・・それくらい一回かかってしまったら治りづらい精神医療の現状なんですね。


では何故治せることができないのか、それは・・・


ちょっと時間がないので次回 part 2で語って行きたいと思います。

俺様な自己愛性パーソナリティー障害


最近、不倫疑惑で話題になった渡部建さん。


佐々木希さんという、とてもきれいな奥様を持って、可愛いお子様に恵まれていても、不倫に溺れてしまう・・・


なぜでしょうか?


彼は一部の人たちからは自己愛性パーソナリティー障害ではないかと言われています。


自己愛性パーソナリティー障害とは、『自分は人より優れた特別な人間』だと思っている状態の人です・・・しかも病的に。


人間というのは誰でも自分は特別な存在と思うこともあると思います。


事実、子供は、三歳までは幼児的万能感と言って自分の言うことは何でもかなう特別な存在と信じているものです。


おむつが濡れたら泣いて母親を呼び、オムツを変えてもらって気持ちよくなる。そしてお腹がすいてまた泣いて母親を呼び、おなかを満たしてもらう。


この繰り返しで赤ちゃんは自分の思い通りになる母親を実感するのです。


そもそもこの時期は母親と自分が別の人間だとは感覚的にわかりません。そうやって赤ちゃんは母親に融合して愛着をしっかり満たしてもらいます。


そして少しずつ感覚が成長してくると自分の一部だったお母さんが、自分の思い通りにはならなくなる。


「こんなひどいことはない!」と泣き喚き、そして母親は自分の一部ではないし、思い通りにはならないことを実感し、自分は万能ではないと感じるのです。


子供は幼児的万能感と言う特別を満たしてもらうと、自分と母親以外の他人の違いを認識する力も付くのです。


この基本的な愛着を満たしてもらった人は自分が病的にまで特別と言う実感をを求めません。


自己愛性パーソナリティー障害は基本的な愛情飢餓感の欠如から、他人の実感ができていない人だとも言えます。


つまり、


「自分をもっと尊大に扱うべきだ!」「自分の要求を満たすためには他人が犠牲になっても構わない」・・・


これって母親の無償の愛情を求めている子供の要求と同じように聞こえませんか?


今までの人生で他人がそう扱ってくれることは少なかったでしょうから劣等感も相当なものでしょう。


渡部健さんも人気者できれいな奥様だからこそ、粗雑な自分を見せられなかったのかもしれませんし、ひょっとしたら奥様もお子さんも自分のステータスの一部だったのかもしれません。


だとしたら他人は自分が特別な存在と認識する為にだけに存在するのものと思うことは少し寂しいような気がしますね。


人間の基本は全て愛からなんだと思います。